今回の事業が安積歴史博物館(重要文化財指定旧福島県尋常中学校本館を博物館として利用している)で開催され、そして協力できたことで貴重な体験をさせていただき、心より感謝申し上げます。本館はその発祥を福島県最初の旧制中学校に求めることができ、その後高等学校となって以来、昭和48年(1973)まで校舎として使用され、学校は132年の歴史を紡いできた場所でもあります。前途に夢と希望を抱き、日本のみならず世界の舞台を目指した多くの若者を育み見守ってきた学び舎です。
約1年前思いもよらない依頼がジャーナニヤルアート企画から飛び込みました。当時は「何を言ってるのだろう?」というのが正直なところでした。数度とお話を伺ううちに、代表・宮内氏と副代表・鏡沼氏の懸命に説く、「ここで新しいことを、誰も未だやってないことを実現してみたいです。やらせてください。」という熱意に、この学校の伝統の一つである「開拓者精神」を想起し、理事会に上程して正式に28年度の事業計画と決定しました。時を同じくして本年4月、「安積開拓と安積疎水」が『未来を拓いた「一本の水路」-大久保利通“最期の夢”と開拓者の軌跡郡山・猪苗代-』として文化庁より日本遺産に認定された事もあり、若者のチャレンジ精神を応援することも、この文化財の建物が喜ぶことの一つではないかなどと勝手に思い込んだりしたものでした。
約1か月におよぶ長丁場のイベントであり、運営についても博物館側だけでは到底出来るはずもなく、関係者をはじめ郡山市、郡山JC等多くの皆さまにご支援とご援助を陰日向なく頂きました。さらに、アーティストが郡山に約1か月滞在し色々な方と出会って話をし、その中から製作に係わるヒントを得、完成した作品を鑑賞していただくというこの事業企画の意図もあり、十分とは言えないまでも当館として各方面の多くの皆さまにも働きかけを致しました。この事業を知らずに来館したお客様にも、アーティストの皆さんとお話しくださいと声掛けも致しました。又この期間、従来にも増して多くの報道関係者にもご来館いただきました。取材の対象は勿論アーティストですが、紙上やオンエアーにおいては当館の名称もアナウンスされ、当館の長期にわたる広報宣伝期間ともなり、文化財に接し、親しみ、利用することで文化財をより身近に感じ関心を持っていただきたいという当方の思いも十分伝わったように思います。
しかしながら、重要文化財の中での製作であり残念ながら種々の制約もありました。汚損・毀損・破損は許されるものではありませんし、電源についても容量には限界があります。ネットワーク環境についても色々と創意工夫しながら製作に当たっていただきました。「環境が十分だから良い作品が生まれるという訳でもないだろう」等と粋がりもしましたが、この施設の雰囲気も含めたすべてを作品として鑑賞していただけたらという気持ちで一杯でした。「あなたとつくる、展覧会」「安歴博がアートになる」というこのキャッチフレーズが見事にこのあたりの事情を物語っています。
この施設は使い勝手が良いとは言えません。明治期の建物そのものであり、設備面には不安があります。しかし、その気になれば何らかの結果が出せる場所であると気が付きました。何も無いだけに、「やりたい事をやり遂げたい」という熱い心と思いを、この施設は見付け出してくれたようです。ジャーナニヤルアート企画の今回の事業は、それを見事に表現された気がします。
製作に関して何もお手伝いすることはできませんでしたが、その環境整備には精一杯務めることができたと思います。ただ残念なことは一つ、アーティストの皆さんが製作に没頭できる時間をもっと多く作るお手伝いができなかったかということです。全体をプロデュースすることはできませんが、広報やマネジメント等もう一歩進んだ協力体制を築くことができればと今になって思います。五月雨式の取材に同じ内容の質問、夜討ち朝駆けの取材側の都合など、博物館としてこのあたりの交通整理ができれば、集中した製作活動時間の確保ができたのではないか、と今後の課題として残りました。
一方で、成果として残ったものもありました。障がい者の方々の新たな能力を見出し、それをデザイン化して商品とし、彼らと社会との橋渡しに努めるために今後も連携しながら活動を継続していこうという動き。コミュニティーデザインとして、老舗の来し方と行く末を模索し新たな屋号をデザインして、それを地元に還元するという成果。作品それぞれについてアーティストが参加者にその意図や思いを説明し、参加者も意見や感想を述べる等、双方向の鑑賞機会を設け、これも非常に好評であったこと。そしてこれらの企画が好評を得て、今回で終わることなく継続して開催を希望する声が多く寄せられました。まだまだ「アート」という言葉に高い敷居を感じる方が多いのも事実です。身近に感じるようになるにはもう少し時間が必要です。一度だけでなく何度も、そして継続することが親しみを持つことへの近道かもしれません。「また今年も始まるよ」と言えることを楽しみにしたいと思います。
結果に良し悪しの評価はあるかもしれませんが、成し遂げたという満足感は経験者だけが味わうことのできる最高の贅沢かもしれません。最初は小さな歯車ですが動いた事実は残っていきます。一つ一つ回していくことが大きな動きとなっていきます。口で言うほど簡単ではありませんが、今後もまた一緒に回していくことができれば、今回の事業に携わった一人として未来につながる仕事をしたような気がします。この事業で貴重な経験をさせていただきました。心より感謝申し上げます。
公益財団法人 安積歴史博物館 業務執行理事 橋本文典
約1年前思いもよらない依頼がジャーナニヤルアート企画から飛び込みました。当時は「何を言ってるのだろう?」というのが正直なところでした。数度とお話を伺ううちに、代表・宮内氏と副代表・鏡沼氏の懸命に説く、「ここで新しいことを、誰も未だやってないことを実現してみたいです。やらせてください。」という熱意に、この学校の伝統の一つである「開拓者精神」を想起し、理事会に上程して正式に28年度の事業計画と決定しました。時を同じくして本年4月、「安積開拓と安積疎水」が『未来を拓いた「一本の水路」-大久保利通“最期の夢”と開拓者の軌跡郡山・猪苗代-』として文化庁より日本遺産に認定された事もあり、若者のチャレンジ精神を応援することも、この文化財の建物が喜ぶことの一つではないかなどと勝手に思い込んだりしたものでした。
約1か月におよぶ長丁場のイベントであり、運営についても博物館側だけでは到底出来るはずもなく、関係者をはじめ郡山市、郡山JC等多くの皆さまにご支援とご援助を陰日向なく頂きました。さらに、アーティストが郡山に約1か月滞在し色々な方と出会って話をし、その中から製作に係わるヒントを得、完成した作品を鑑賞していただくというこの事業企画の意図もあり、十分とは言えないまでも当館として各方面の多くの皆さまにも働きかけを致しました。この事業を知らずに来館したお客様にも、アーティストの皆さんとお話しくださいと声掛けも致しました。又この期間、従来にも増して多くの報道関係者にもご来館いただきました。取材の対象は勿論アーティストですが、紙上やオンエアーにおいては当館の名称もアナウンスされ、当館の長期にわたる広報宣伝期間ともなり、文化財に接し、親しみ、利用することで文化財をより身近に感じ関心を持っていただきたいという当方の思いも十分伝わったように思います。
しかしながら、重要文化財の中での製作であり残念ながら種々の制約もありました。汚損・毀損・破損は許されるものではありませんし、電源についても容量には限界があります。ネットワーク環境についても色々と創意工夫しながら製作に当たっていただきました。「環境が十分だから良い作品が生まれるという訳でもないだろう」等と粋がりもしましたが、この施設の雰囲気も含めたすべてを作品として鑑賞していただけたらという気持ちで一杯でした。「あなたとつくる、展覧会」「安歴博がアートになる」というこのキャッチフレーズが見事にこのあたりの事情を物語っています。
この施設は使い勝手が良いとは言えません。明治期の建物そのものであり、設備面には不安があります。しかし、その気になれば何らかの結果が出せる場所であると気が付きました。何も無いだけに、「やりたい事をやり遂げたい」という熱い心と思いを、この施設は見付け出してくれたようです。ジャーナニヤルアート企画の今回の事業は、それを見事に表現された気がします。
製作に関して何もお手伝いすることはできませんでしたが、その環境整備には精一杯務めることができたと思います。ただ残念なことは一つ、アーティストの皆さんが製作に没頭できる時間をもっと多く作るお手伝いができなかったかということです。全体をプロデュースすることはできませんが、広報やマネジメント等もう一歩進んだ協力体制を築くことができればと今になって思います。五月雨式の取材に同じ内容の質問、夜討ち朝駆けの取材側の都合など、博物館としてこのあたりの交通整理ができれば、集中した製作活動時間の確保ができたのではないか、と今後の課題として残りました。
一方で、成果として残ったものもありました。障がい者の方々の新たな能力を見出し、それをデザイン化して商品とし、彼らと社会との橋渡しに努めるために今後も連携しながら活動を継続していこうという動き。コミュニティーデザインとして、老舗の来し方と行く末を模索し新たな屋号をデザインして、それを地元に還元するという成果。作品それぞれについてアーティストが参加者にその意図や思いを説明し、参加者も意見や感想を述べる等、双方向の鑑賞機会を設け、これも非常に好評であったこと。そしてこれらの企画が好評を得て、今回で終わることなく継続して開催を希望する声が多く寄せられました。まだまだ「アート」という言葉に高い敷居を感じる方が多いのも事実です。身近に感じるようになるにはもう少し時間が必要です。一度だけでなく何度も、そして継続することが親しみを持つことへの近道かもしれません。「また今年も始まるよ」と言えることを楽しみにしたいと思います。
結果に良し悪しの評価はあるかもしれませんが、成し遂げたという満足感は経験者だけが味わうことのできる最高の贅沢かもしれません。最初は小さな歯車ですが動いた事実は残っていきます。一つ一つ回していくことが大きな動きとなっていきます。口で言うほど簡単ではありませんが、今後もまた一緒に回していくことができれば、今回の事業に携わった一人として未来につながる仕事をしたような気がします。この事業で貴重な経験をさせていただきました。心より感謝申し上げます。
公益財団法人 安積歴史博物館 業務執行理事 橋本文典
11月6日、「こおりやまアーティスト・イン・レジデンス」の展覧会を無事終了することができました。応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。
この1年、郡山を舞台にイベントを開催すると決めてから、本当に多くの方々とお話をしてきました。過去こんなにも、自分の想いを人に話したことはなかったように思います。
「アートイベント」と一言で言っても、この取り組みはわたしにとって大きな挑戦でした。
「ただの展覧会じゃない。あなたとつくる、展覧会。」そう掲げたように、アートがひとつのコミュニケーションツールとなり、展覧会場である安積歴史博物館が多くの方々の心の交流の場になることを夢見てきました。今までアートと関わりが薄かった方々をどれだけ巻き込めるかということも日々考えてきました。
「いい活動だね」「応援しているよ」そんな声に心から励まされた一方、「まだまだ甘い」「自己満足にしかみえない」「伝わってこない」そんな厳しいご意見もいただきました。それが本当にありがたいことでした。そのたびに立ち止まり、自分たちが成し遂げたいことは何なのか、考えるきっかけをいただいてきたからです。
福島で活動するということ。今回、福島県外から多く方々がこの活動をバックアップしてくださいました。「自分では何もできないから、このイベントを応援するよ」そんな声も多くありました。その方々の想いを伝えるためにも、地元の方に喜んでもらえるような環境づくりを目指してきました。では、実際、喜んでいただけたのか? もちろん、課題は山ほどみえました。力の無さを感じ反省したことも多くありました。しかし、微力ながら福島や郡山という土地に、少し、笑顔を増やすきっかけづくりができたのではないかと自負しています。それは、必死でやった気持ちが伝わり、「ありがとう」の言葉をたくさんいただいたからです。全てが報われるような、涙がでるほど嬉しい瞬間でした。
今、展覧会を終えて、様々な感情がうごめいています。大変さのなかで生まれた喜びや感動が過ぎ去り、達成感と寂しさが少々。花のつぼみを眺め、毎日毎日水をやり、やっとの想いで咲く時は一瞬、めまぐるしく過ぎ去ってしまう。そんな感じでしょうか。しかし、散った花びらを見たこの寂しさが、次の活動の原動力になっていく気がしています。
「アーティスト・イン・レジデンス」=「県外の人間だからできること」。
今回この言葉をキーワードに掲げてきました。外から来たからこそ分かるその土地の良さがあるはず。それをアーティストやクリエイターがそれぞれの視点で発見し、作品を通じて表現する。地元の方々は、わたしが 思い描いた以上に、その切り口に興味を持ってくださいました。
しかし、その任務を負ったアーティストやクリエイターたちは大変だったと思います。どのようなアプローチで作品を生み出せば良いのか、自己表現の域だけでは成立しない、生みの苦しみを味わうこととなりました。
慣れない土地に滞在するということ。1ヶ月という期間は滞在には長いですが、一からの人間関係を築き上げるにはとても短い期間であったように思います。しかし、その限られた時間の中で多くの方々と交流し、想いを伝え、郡山の方々と心を通わせるアクションをたくさんしてくれたのは、まぎれもなくクリエイターたちでした。心から敬意を表したいと思います。
特に、長期滞在をしてくれた2人。ライラ・カセムさんと石井挙之さん。体調を崩しながらの滞在、大変だったと思います。心から感謝しています。そして、クリエイターたちのために朝早く、そして夜遅くまでおつき合いいただいた博物館のみなさま。中でも、ご自宅をホームステイの宿泊先として受入れてくださった橋本文典理事には感謝の言葉を伝えても伝えきれない程です。大きな器で包み込んでくださり、いつも食卓には笑い声が溢れていました。そして、うまく行かず落ち込んだ時には温かい言葉で励ましてくださいました。そのことで本当に救われました。
今回の事業は、特に子どもたちや学生世代に生のアートを体感する場にしてほしいという思いがありました。20〜30代の若手であり、学生世代からは少し手の届きそうな世代のアーティストやクリエイターたちが、毎日がむしゃらに取り組む姿を見てほしい。そんな状況も自然と叶いました。会場の博物館の敷地内にある安積高校生の中には、放課後毎日通ってくれる生徒もいました。日に日にかかわってくれる学生の人数も増えていきました。そして展覧会のサポータースタッフとして参加してくれた高校生もいました。わたしたちのアクションが彼らの心に少し届き、明日への前向きな気持ちへの手助けになったなら本当に嬉しく思っています。
この展覧会を終えて間もないですが、ありがたいことに福島県内から「次はどこでやるの?」「一緒に何かやりませんか?」そんなお誘いもいただいております。自分の頭の中だけで考えていたことが具現化した喜びに浸る前に、次につながるきっかけまでいただいています。本当に感謝しています。
「じゃー、なにやる?」その呼びかけは、もともと自分自身を奮い立たせるためのものでした。それが1人、2人と想いが伝わり、本当に多くの方々にご協力いただけたこと。わたしたちは、前向きなアクションを続けて行くことでしかお返しができません。感謝の気持ちを忘れずに、これからも活動を続けて行きたいと思います。どうぞ、あたたかく見守っていてください。そして、これからも応援よろしくお願い致します。
ジャーナニヤルアート企画 代表 宮内 理
この1年、郡山を舞台にイベントを開催すると決めてから、本当に多くの方々とお話をしてきました。過去こんなにも、自分の想いを人に話したことはなかったように思います。
「アートイベント」と一言で言っても、この取り組みはわたしにとって大きな挑戦でした。
「ただの展覧会じゃない。あなたとつくる、展覧会。」そう掲げたように、アートがひとつのコミュニケーションツールとなり、展覧会場である安積歴史博物館が多くの方々の心の交流の場になることを夢見てきました。今までアートと関わりが薄かった方々をどれだけ巻き込めるかということも日々考えてきました。
「いい活動だね」「応援しているよ」そんな声に心から励まされた一方、「まだまだ甘い」「自己満足にしかみえない」「伝わってこない」そんな厳しいご意見もいただきました。それが本当にありがたいことでした。そのたびに立ち止まり、自分たちが成し遂げたいことは何なのか、考えるきっかけをいただいてきたからです。
福島で活動するということ。今回、福島県外から多く方々がこの活動をバックアップしてくださいました。「自分では何もできないから、このイベントを応援するよ」そんな声も多くありました。その方々の想いを伝えるためにも、地元の方に喜んでもらえるような環境づくりを目指してきました。では、実際、喜んでいただけたのか? もちろん、課題は山ほどみえました。力の無さを感じ反省したことも多くありました。しかし、微力ながら福島や郡山という土地に、少し、笑顔を増やすきっかけづくりができたのではないかと自負しています。それは、必死でやった気持ちが伝わり、「ありがとう」の言葉をたくさんいただいたからです。全てが報われるような、涙がでるほど嬉しい瞬間でした。
今、展覧会を終えて、様々な感情がうごめいています。大変さのなかで生まれた喜びや感動が過ぎ去り、達成感と寂しさが少々。花のつぼみを眺め、毎日毎日水をやり、やっとの想いで咲く時は一瞬、めまぐるしく過ぎ去ってしまう。そんな感じでしょうか。しかし、散った花びらを見たこの寂しさが、次の活動の原動力になっていく気がしています。
「アーティスト・イン・レジデンス」=「県外の人間だからできること」。
今回この言葉をキーワードに掲げてきました。外から来たからこそ分かるその土地の良さがあるはず。それをアーティストやクリエイターがそれぞれの視点で発見し、作品を通じて表現する。地元の方々は、わたしが 思い描いた以上に、その切り口に興味を持ってくださいました。
しかし、その任務を負ったアーティストやクリエイターたちは大変だったと思います。どのようなアプローチで作品を生み出せば良いのか、自己表現の域だけでは成立しない、生みの苦しみを味わうこととなりました。
慣れない土地に滞在するということ。1ヶ月という期間は滞在には長いですが、一からの人間関係を築き上げるにはとても短い期間であったように思います。しかし、その限られた時間の中で多くの方々と交流し、想いを伝え、郡山の方々と心を通わせるアクションをたくさんしてくれたのは、まぎれもなくクリエイターたちでした。心から敬意を表したいと思います。
特に、長期滞在をしてくれた2人。ライラ・カセムさんと石井挙之さん。体調を崩しながらの滞在、大変だったと思います。心から感謝しています。そして、クリエイターたちのために朝早く、そして夜遅くまでおつき合いいただいた博物館のみなさま。中でも、ご自宅をホームステイの宿泊先として受入れてくださった橋本文典理事には感謝の言葉を伝えても伝えきれない程です。大きな器で包み込んでくださり、いつも食卓には笑い声が溢れていました。そして、うまく行かず落ち込んだ時には温かい言葉で励ましてくださいました。そのことで本当に救われました。
今回の事業は、特に子どもたちや学生世代に生のアートを体感する場にしてほしいという思いがありました。20〜30代の若手であり、学生世代からは少し手の届きそうな世代のアーティストやクリエイターたちが、毎日がむしゃらに取り組む姿を見てほしい。そんな状況も自然と叶いました。会場の博物館の敷地内にある安積高校生の中には、放課後毎日通ってくれる生徒もいました。日に日にかかわってくれる学生の人数も増えていきました。そして展覧会のサポータースタッフとして参加してくれた高校生もいました。わたしたちのアクションが彼らの心に少し届き、明日への前向きな気持ちへの手助けになったなら本当に嬉しく思っています。
この展覧会を終えて間もないですが、ありがたいことに福島県内から「次はどこでやるの?」「一緒に何かやりませんか?」そんなお誘いもいただいております。自分の頭の中だけで考えていたことが具現化した喜びに浸る前に、次につながるきっかけまでいただいています。本当に感謝しています。
「じゃー、なにやる?」その呼びかけは、もともと自分自身を奮い立たせるためのものでした。それが1人、2人と想いが伝わり、本当に多くの方々にご協力いただけたこと。わたしたちは、前向きなアクションを続けて行くことでしかお返しができません。感謝の気持ちを忘れずに、これからも活動を続けて行きたいと思います。どうぞ、あたたかく見守っていてください。そして、これからも応援よろしくお願い致します。
ジャーナニヤルアート企画 代表 宮内 理